島原防災の日
1990年(平成2年)のこの日、
長崎県・雲仙普賢岳が
約200年ぶりに噴火した。
その後の火砕流によって
大きな被害を受けたため、
これを忘れないようにする日。
(写真)引用元:じゃらんnet
平成の大噴火その時何が起こったのか
1990年11月から1995年2月まで
続いた雲仙岳の噴火活動。
38回の土石流と7回の大火砕流を中心
として荒れ狂った自然のものすごさ。それを物語るのが死者41人、
行方不明3人、負傷者12人、
建物の被害2511件、
被害額2299億4197万円
という数字だ。けれども私たちは
この数字だけに眼を奪われてはならない。この数字が意味しているのは、
学ばなければならない多くの教訓、
生かさなければならない多くの
経験がここにはあるということだ。そう、私たちがまず
知らなくてはならないのは、
平成の大噴火のはじまりからおわりまでに、
いったい何が起ったのかということ。それを知ることは、
すさまじい自然のパワーを知ることなんだ。そしてそれにひるむことなく
復興に挑んだ人々の
たくましさを知ることなんだ。<198年ぶりの大噴火>
1万5千人を超える死者を出した、
【島原大変】と呼ばれる
寛政4(1792)年の大噴火以来、
雲仙普賢岳は荒れ狂うことは
忘れたようにおだやかな表情を続けてきた。けれどもそれから約2世紀ののち、
平和な眺めとはうらはらに、
地下には熱いマグマが潜んでいたことを、
島原半島の人々は
思い知らされることになる。引用元:普賢岳災害記念館
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現在の雲仙・普賢岳の状況は?
雲仙・普賢岳の噴火から17日で33年です。
噴火のあとにできた溶岩ドーム
「平成新山」の現状を調査する
防災視察登山に記者が同行。今季一番の冷え込みとなった13日。
登山口の仁田峠に九州大学や
地元・島原市のほか気象庁、
警察・消防などから
約100人が集まりました。1990年11月17日、
198年ぶりに噴火した雲仙・普賢岳。
翌1991年6月3日の大火砕流では
消防団員や警察官報道関係者ら
43人が犠牲になりました。2年後にも火砕流で住民1人が亡くなり、
終息宣言が出るまで5年半かかりました。この間、約9400回の火砕流を起こしながら
形成されたのが、溶岩ドーム「平成新山」です。防災視察登山は、現状を調べ、
避難計画に反映するため、
九州大学や島原市などが
毎年春と秋に行っていて、
今回で34回目です。霧に包まれ、霜が降りた登山道。
登り、下りを繰り返しながら進みます。普段、立ち入りが禁止されている
警戒区域に入ると、すぐに目の前が開け、
霧氷の着いた木々が茂る溶岩ドーム
「平成新山」が姿を現しました。その規模は、
東京ドーム約80杯分の約1億立方メートル。
大小、茶褐色の岩石は
全てマグマが冷えて固まった溶岩です。足元はぐらつき、両手を使いながら、
時折、へばりつくようにして
吹きざらしの中、登り進めますが…。頂上まで残り100mほどという所で、
強風のため、
山頂での調査は中止となりました。ただ、14日に改めて
九州大学のチームが登頂し、
山頂部の噴気の温度を調べると92.9度。ここ10年、90度前後で推移していて、
変化が見られなかったことから
火山活動は安定していると判断しました。一方、危険性が指摘されたのが、
風化や地震による溶岩ドームの崩落。
そして、噴気が火山内部に
たまって起きる水蒸気爆発です。九州大学地震火山観測研究センター
松島健教授
「全然地震も大雨が降った
わけでもないのに突然崩れることもあるので、
なかなかいつ崩れるかは予測しにくい。
いつ地震があるか分からないし
(大きな崩落があるなら)
地震があって崩れるんだろうと」火山噴火予知連絡会会長
九州大学 清水洋名誉教授
「非常に大きく顕著にマグマが
上がってくるとかいうことで
あれば分かるが、
ゆっくりとかわずかな量だと検出はできない。
つまり
マグマの動きを捉えることができても、
予知ができるかというと
必ずしもそういうわけではなく、
マグマが上がってきても
噴火未遂で終わることの方が多い。
だから前兆はつかめても
噴火につながるとは限らない」いつ再び起こるか、予知できない噴火。
しかし、
前兆をつかむ調査は進んでいます。引用元:NCCスーパーJチャンネル長崎より
こうしたなか、16日は
雲仙・普賢岳のふもとにある
島原市の中木場保育園で、
地震によって溶岩ドームが崩落した
との想定で避難訓練が行われました。訓練には園児や職員など
およそ90人が参加し、
地震が収まったのを確認したあと、
まず園庭に避難しました。このあと、保育園の職員が園児の
人数を確認しておよそ1キロ離れた
避難所まで避難する
手順を確認していました。
まとめ
平成から令和にかわっても
忘れてはならず、次の時代の
子どもたちへと自然災害の恐ろしさを
避難の方法を
伝えていかなければなりません。
いつ崩れるかわからない状況にも
かかわらず、命をはって
防災視察登山に参加された
関係者の皆様、記者も同行し
報道していただいたことに
感謝申し上げます。
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